野沢温泉道祖神祭りは、冬の野沢温泉村で道祖神を祀り、子供の成長を祈って行なわれる豪快な火祭りです。
針金や釘などをいっさい使わずに造られた社殿に、家々から集められた正月飾りなどを敷き、その社殿に松明で火をつけようとする村人と、社殿を守る厄年の男たちの攻防戦の炎と人の熱気が、真冬の野沢温泉村を包み込みます。
この記事では、野沢温泉道祖神祭りの歴史と由来、火祭りのクライマックスの攻防戦と火入れなどの見どころをご紹介しています。
野沢温泉道祖神祭りの歴史と由来!
道祖神とは
道祖神は、おもに村境や峠などの路傍にあり外から来る疫病や悪霊を防ぐ神であるとともに、子どもの成長や子宝祈願などの対象として広く全国的にまつられている民間信仰の神です。
野沢温泉道祖神祭りの起源
道祖神祭りがいつから始まったのかは定かではないとされています。しかし、道祖神碑に「天保十巳亥年」との刻銘があることや、河野家に残されている「文久三年道祖神小豆焼帳」などから、江戸時代後期にはすでに行われていたのではないかといわれています。
野沢温泉道祖神祭りの意味
野沢温泉道祖神祭りの意味としては、豊作祈願や厄払い、初子の成長を願って行われるものです。全国的には「どんど焼き」などの呼称で呼ばれる、正月飾りや締め飾りなどを焼く行事です。
クライマックスの火祭りの攻防戦と火入れが見どころ
祭りのクライマックスは「火付け」で、高さ15メートルにもなる社殿の櫓に火をつける男たちと、その櫓を守ろうとする男たちとの攻防戦です。
道祖神祭りの流れ
19時 火元もらい
厄年の代表者が河野家に火をもらいに行く「火元もらい」の儀式が行われます。いろりを囲んで道祖神の歌を歌い御神酒がふるまわれます。
火祭りに使われる火は、古式にのっとり河野家に代々伝わる火打ち石で起こします。
20時 たいまつ行列
大きな松明に着けられた火を持ち、厄年代表者らは道祖神唄を歌いながら火祭り会場へと向かいます。
20時30分 火祭りの攻防戦
いよいよ、激しい攻防戦が始まります。火付けは最初に祭りの主催者、次に初灯籠の奉納者、その次は子どもたち、そして大人の火付けとなります。
社殿正面の前で燃え上がる火もとから松明に火を着けると、社殿正面へ向かって叩きつけて攻撃します。火付けをするのは一般の住民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年の住民で、社殿の上に上がっているのは42歳厄年の住民です。
22時すぎ 社殿火入れ
約1時間半にわたる攻防戦が終わると、双方が手締めをして社殿に火が入れられます。次第に社殿が燃え上がり、大きな炎が空高く燃え上がったところでクライマックスに達しますが、燃え上がった社殿が燃え落ちる(23時ごろ)ところは見逃せません。
燃え落ちた社殿は翌日まで燃えているのですが、ここで餅を焼いて食べると1年間風邪も引かずに健康で暮らせると言われているため、たくさんの人がお餅を焼いて食べるということです。
野沢温泉道祖神祭りの概要
開催日と開催場所
開催日:毎年1月13日~1月15日まで
開催場所:長野県野沢温泉村馬場の原
アクセス
【車】上信越道豊田飯山ICー国道117号線ー野沢温泉(中央ターミナル)
【電車】飯山駅ー(路線バス・直通バス)ー野沢温泉(中央ターミナル)
会場へは野沢温泉(中央ターミナル)バス停から西に下り野沢観光タクシーから右に入ります。
野沢温泉道祖神祭りの舞台になる温泉街
約100万年前に噴火した古い火山、毛無山(標高1650m)の裾野にある温泉地です。町中には数多くの旅館や宿泊施設があり、共同浴場「大湯(おおゆ)」の周辺には大小の旅館や土産物屋が密集しています。
会場に近い宿
・河竹:徒歩3分(220m)
・池分:徒歩4分(240m)